関和則 [せき かずのり]
昭和40年9月1日生まれ

 
20歳の時に『岩崎元是&WINDY』でキティレコードメジャーデビュー。同期デビューには隣のスタジオでお互いレコーディングするようなタイミングで久保田利伸がいた。解散後、NHKみんなのうたで作曲家デビューを果たし、シンガー、作編曲家として数百社のCM音楽を手がける。またJOYSOUNDのカラオケにもその作品を聞くことができる。専門学校ではコンピュータミュージックのオーソリティとして1000名を超える生徒の指導にあたった。その後実業の世界に転身、そのプレゼンスキルとコンピュータスキルを活かし50社以上の起業コンサルタントとして様々な業種の企業の立ち上げを経験、その後2005年にダイレクトセールスの会社を起業し、わずか数年で年商30億規模までに成長させ、ダイレクトセールス業界の成長率日本記録を樹立。現在は貿易、福祉など合計4社の経営者として、インターネットビジネスに参入。
著作物多数。

バンドデビュー,ドラマー時代。

中学生の時に初めてドラムやギターを習い始めて、そのあとはバンド活動ばかり。16歳の時につのだひろさんに出会って、初めてプロになりたい、って気持ちが芽生えた。地元にいると自分がどれくらいの立ち位置にいるのか全然わからなくて。でもとにかくプロになりたくて、上京しヤマハの専門学校に入ったんだけど、同じクラスには、すでにタレントのバックバンドをしている人もいて、ほとんどプロと同じでしょ、ってくらいのテクニシャンばかりで、まあ、ぶっ飛んだ。これはちゃんとやらないとついてけない、って思って必死に練習してましたね。卒業するかしないかのタイミングで、当時安全地帯が所属していたキティレコードのバンドオーディションを受けないか、という話が来たんですね。話を持ってきてくれたのが、当時ZOO,今EXILEのCHUCHUTRAINのアレンジャーさんで、もの凄くラッキーでした。今考えると。で、受けたら合格してしまって。しかもすぐバンドとしてメジャーデビューを果たし、オリコン40位ぐらいまでいったんですよ。当時同期には久保田利伸くんがいて、なんと隣のスタジオでレコーディングしてるんですよ。(笑)でも、そのあとが続かなくて。

 

 作曲家、音楽講師時代。

 
2年くらいでバンドを抜けて、さてどうしようかって色々考えて、とにかく作曲や歌の勉強をしようと。ドラムだけやってるだけじゃ、そのうちいつか仕事に限界がくるんじゃないかって何となく感じて。それで打ち込みで作った曲のデモテープを色々なところに持って行っていたら、子供の歌の依頼がたまたまきて、これもラッキーだったんですけどNHKの『みんなのうた』のお仕事をいただいて。それからいろいろなCMの仕事がくるようになりましたね。当時は打ち込みの音楽はかなり需要もあって、私はコンピュータミュージックの専門っていうイメージがあったので、お仕事がだいぶいただけるようになってきて。でも、この頃から、「音楽でいつまで食べていけるのかな?」といった漠然とした不安はありました。それでもただただとにかく仕事はどんどん入ってきて忙しくなってきて、ワンルームマンションでスタートした仕事場は最終的にスタジオ、事務所、自宅用と4部屋まで拡張しました。朝も夜もなくひたすらスタジオにこもって仕事オンリーの生活を続けて、最終的には一戸建てを中野区に購入できるくらいまでになりました。その地下を改造してドラムがたたけるスタジオにして、いろいろなミュージシャンのプロデュースをしてCDを作ったりしてました。

コンサルタント時代。

音楽、DTM関連のスキル以外にも、illastrator、Photoshopなどクリエイティブなソフトを扱うスキルを身に付けていたので、30歳くらいからコンサルタントとして、いろいろなビジネスの立ち上げの依頼を受けるようになったんです。内容は名刺やロゴのデザイン、商品パッケージ、注文用紙や契約書面など、会社の立ち上げに必要な書面一式の制作です。気が付けば口コミで5,6社の仕事を同時に受けるくらいになってて、累計では50社くらいのコンサルタントを受けることになってました。ただ、この仕事の立場っていうのがすごく微妙でね。自分には何の権利も無いし、契約期間が終わったらハイサヨナラ、って感じですぐ終わってしまうような、最後に自分自身には何も残らない仕事だなって感じるようになったんです。

 

創業から成功へ。

 
その頃たまたま新しい出会いがあって、2005年に最初の物販会社を立ち上げることになって。自分の人脈の中から何人か手伝ってくれる人をピックアップしてそれぞれ役員に入ってもらって、たった一枚の企画書からその会社がスタートしたんです。でも当初は自分の机もない状況で。ビジネスパートナーの事務所をお借りして、パソコンまでついでにお借りして(苦笑)印刷代も節約するためにヤフオクで落としたインクジェットプリンター何台も使って印刷して。最初は全然売り上げも伸びなくて。ところが徐々にラインナップを増やしていったら2年目で一気に売り上げが伸びて、1期目から2期目の増収率382.7%、3期連続3桁成長という、ダイレクトセールス業界の日本新記録になってしまった。もう大変でした。欠品の嵐で、あっという間に在庫がなくなって。クレームの嵐。そんなこんなを乗り越えてもう10年経ちましたね。

本当の豊かさとは?

若い時からずっと音楽をやってきて、ある一定のラインまでは行ったけれど、常に忙しいばかりで、なかなか自由な時間を得ることが出来なくて、仕事も自分のやりたい仕事じゃなくても生活のために受けなくちゃいけなくて、それはすごいストレスでしたね。で、自分で起業することができて、結果いつでも音楽活動ができる時間を得ることができたんですけど、これも成功の一つの形だと思います。成功って人によって価値観が違うのであり方とか違うと思いますけど、いつでも、どこでも行けて、欲しいものを手に入れることが出来る、やりたいことがすぐにできる自由さを持てる、精神的にも物理的にも自由だ、っていうのは最高の状態ですよ。そのための資産を持っているっていうのが究極の成功だと思いますね。数値じゃない。みんな資産の多さとか競うんですけど、あのアンソニーロビンズも言ってましたけど、自分の価値観をきちんと持たないと絶対精神的に「豊かな」状態にはならない。年を取れば取るほどあまり欲がなくなってくるんですけど、それもビックリするんですが、価値観が変わってきたことに凄くビックリしてます。家族との時間とか仕事から離れる空間って大事ですね。とか言って全然できてないけど(笑)仕事人間だから。

 

すべての人にチャレンジを。 

 
21世紀になってこれから日本はすごく厳しい時代に突入したと思います。企業の中にいてもちゃんと前向きに仕事していかないといけないし、自分の生き方とかスタンスを本当にしっかりと考えないとこれからは生き残っていけない。今どき企業に入っただけで10年20年後も安泰だって心底思ってる人は恐らくそんなにいないとは思いますけど。「いったい自分は、その会社で何がしたいのか」という目標をしっかりと持って何らかのスキルを身につけていかないと、ただ会社でお給料をもらうだけではもったいないです。私は一回もサラリーマン経験がなくて、すっとフリーでやってきたんで、ずっと「このままじゃいかん!」っていう気持ちで生きてきたんですね。ある程度の緊張感や危機感を持って仕事をしてきて、それは今も全然変わっていないです。多分こういう貴重な経験を皆さんに伝えていくとこで、普通の人が次のステージに立つためのお手伝いができたらよいのかな、なんてことを考えています。私の知り合いも脱サラしてミュージシャンになったやつもいます。どんな選択も、間違っているわけじゃないです。自分の人生なんで。でも、副業を経由して起業して成功すれば、働く時間や休みを、自由に設定する事ができる。給料も自分で自由に決めることができる。いつかは豊かに暮らしたいってみんな思いますよね。仕事は所詮自由を得るための手段ですから。もし自分の状況がよくないとか、豊かではないとか、少しでも感じているなら、何か、新しいチャレンジを絶対にするべきですよね。すべての人に平等にチャンスは与えられているわけですから。

 香港から。